2013年6月3,4日、中学2年生の初夏、宿泊研修が行われた。
あまりはっきり覚えていないが、僕は小樽水族館の担当で、小樽水族館を見学してから昼ご飯を食べるのか、昼ご飯を食べてから小樽水族館を見学するのか、何度も変更になったが、変更の旨を班のメンバーに伝えるプリントを書くのを父に手伝ってもらうなどして、頑張って伝えるなどしたことは覚えている。
また僕は当時、宿泊研修のおよそ一か月前に購入した布袋寅泰のエッセイ「幸せの女神は勇者に味方する」を愛読し、心のよりどころとしていた。
紙の本はおそらく絶版だが、電子書籍でも読めるので、ぜひ読んでほしい。
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宿泊研修に向けた総合的な学習の時間に、生活委員に「本を持って行っていいか?」と僕は訊いたが「荷物を軽くするために持ってこないで」と言われた。
しかし、一泊二日とはいえ、家や親から離れる僕には心のよりどころが必要だったから、持参することとした。
当日、2013年6月3日は、学校の最寄り駅に集合し、電車に乗り小樽まで行き、小樽水族館を見学し、小樽水族館のレストランで昼ご飯を食べた。
ニセコのホテルに移動し、羊蹄山をバックに集合写真を撮影した後、まず風呂に入ったと思う。
夕食の前の空き時間に同じクラスで別の部屋のIという男子も本を持ってきて読んでおり「やっぱ本持ってくるよね~」みたいな会話はした。
夕食は、大広間みたいなところで学年全員で食べたと思うが、担任のK先生が「今日誕生日の人がいます」と言い、会場の電気が消え、全員でハッピーバースデーを歌い、ミツキ(仮名)という同じクラスの女子の誕生日を祝った。
会場の電気が消えた瞬間、まんまパーティやんと思った勢いのまま学年レクに突入した。
学年レクで何をやったかは全く覚えていないが、とにかくはしゃぎ、楽しんだと思う。
学年レクが終わり部屋に戻ると燃え尽きてしまい、既に外も暗く、両親は今どうしてるんだろうなぁ・・・とか思ったが、泣かないぞみたいに思った。
僕は同じクラスのウマ(仮名)とトラ(仮名)と同じ部屋だった。
3人いるのにベッドが二つ、ソファが一つという部屋だった。
冒頭の「ラブライブスーパースター」の画像は、その時と同じシチュエーションだったという意味である。
たしか僕とトラはベッドに寝て、ウマはソファに寝たと記憶している。
22時過ぎ、就寝準備の時間に、担任のK先生が部屋に入ってきた。
僕はベッドで持参した布袋寅泰のエッセイを読んでいた。
すると、K先生が「何ですか?それは?本は持ってきちゃだめです。預かります」と言い、僕の手から本を取り上げ、部屋を出て行った。
K先生は、以下の記事にも登場する。
僕が中学の時クラスで笑い者にされた話 - 北条逸輝の生涯学習 (hateblo.jp)
そのままベッドの上で泣いていた僕に、ウマが「明日学校に着いたら返してもらえると思う」と言った。
そして、ウマとトラは窓際にあったテーブルで、備え付けの紅茶を飲み始めた。
すると、再びK先生が部屋に入ってきた。
手には僕が持っていた布袋寅泰のエッセイがあった。
K先生は「おかしくないか?おまいらの就寝準備って紅茶を飲むことか?今すぐ片付けろ」と言い残し、去っていった。
僕たちは就寝した。
僕は本は返してもらえるのか、明日無事に帰れるかなどが不安であり、なかなか寝付けなかった。
だが、明け方目覚めたとき、喉と鼻が痛かった。
そういえば、入館するときホテルの人が「部屋は乾燥しているから気をつけてください」と言っていた。
どうやって気をつけろって言うねん・・・
2日目、2013年6月4日は、寿都町でクラス全員で漁船に乗り込み、海を一周して戻ってくるみたいなことをして、これがかなり楽しかった。
漁船を降りたところでOという同じクラスの男子と肩を組んで写真を撮ったが、その写真は今でも大事に持っている。
その後、バスで学校に帰った。
バスの中で、2013年3月の送別集会で学年で歌った、いきものがかり「歩いていこう」を皆で歌った。
だが、学校に着いたとき、別のクラスの男子Fから「没収された本が返ってくるのは7月中旬にある三者面談で親が来た時だ」と聞かされた。
Fもラノベを持っていき先生に没収されたという。
この約10日後、僕はK先生に
「この度は申し訳ありませんでした。
つい持って行ってしまいました。
軽率でした。
返してください」
みたいなことを言い、返してもらった。
まあ結論的には、今となってはこんなこともあったなと、楽しかった思い出として心に残っているということである。